LOGIN第五話 下世話なヤツラ
「おはようございます」 梅乃は昼見世の時間前に、玉芳の部屋に行くと
「ふわぁぁ……おはよ」 少し寝ぼけている玉芳が返事する。
それから玉芳と梅乃が小さい声で会話をしていた。
「なに? 本当かい? 行くよ」 玉芳が布団を蹴り上げ、起床した。
梅乃が話したことは、三原屋の妓女と余所の見世の妓女とで喧嘩になったとの噂を玉芳に話したのだ。
「場所はどこだい?」 玉芳は気合が入っていたが、何故か顔が嬉しそうであった。
「なんか花魁……楽しそうですね……」 梅乃は小さい声で玉芳に言うと、
「そんな事ないわよ! 心配なだけさ」 『ふんす!』 最後に気合を入れていた。
(これは、絶対に楽しそうだ……) 梅乃は思っていた。
そして喧嘩の場所へ来た。
「お~♡ やってる~♡」
玉芳が とっても嬉しそうにしている顔を、梅乃は初めて見た。
「待ちな……」 そして玉芳が割って入る。
「なんだい?」 威勢のいい妓女が玉芳を睨んだ。
「ほう……言うね~ 私を知っての言葉かい?」
玉芳は長いキセルを くゆらせながら言った。
「この喧嘩に玉芳花魁が出るのは……いただけないね」 喧嘩をしている妓女の一人が言った。
「ウチの見世に文句あって喧嘩しているんだろ?」 玉芳が睨むと
「???」 相手の妓女たちが首を傾げた。
「???」 言った玉芳も、相手の反応に首を傾げた。
「って……アンタ、誰?」
「私は鳳仙楼(ほうせんろう)の二代目鳳仙だよ」
「私は長岡屋の喜久乃……」
「……」 玉芳は、ポカンと口を開けていた。
どうやら喧嘩の場所を間違えていたようである。
『ポカッ―』 玉芳は恥ずかしさのあまり、梅乃の頭を叩いた。
「お前、ウチの娘じゃねーじゃねぇか!」
「もう少し先なんですが、花魁が勝手に喧嘩を見つけて乱入したんじゃ……」
「それを早く言え!」 追撃の一発で、梅乃を叩いた。
そして喧嘩の場所へ
「待ちな!」 玉芳が参上した。
「なんだい?」 喧嘩をしていた妓女が、玉芳を睨む。
「念の為だ、見世を聞こう……」
玉芳は、さっきの間違いから恥ずかしさを知ってしまったようだ。
「小菊屋の高吉(たかよし)だよ」
「ふむ……お前は?」
「花魁、私をお忘れですか??」 玉芳は、妓女の顔を覗き込む。
「ウチの松代(まつしろ)姐さんですよ……」 梅乃が囁(ささや)いた。
「そ、そうだよな……」 玉芳は動揺していた。
(さっきの恥ずかしさで、身内まで忘れたんかいっ) 梅乃は心の中でツッコミを入れていた。
「とりあえず、この喧嘩で安心した。 それで、ウチの見世に文句があるのかね~?」 急に元気を取り戻した玉芳は、小菊屋の高吉を睨んだ。
「大見世だからって、偉そうに……」
小菊屋は小見世であった。 大衆向けの見世であり、引手茶屋を通さずに遊べる見世であった。
「そんな小見世の女郎が、三原屋の妓女と喧嘩をしていると聞いてな……」
そして、玉芳はキセルをくゆらせる。
「大見世だから何だっていうんだい! コッチにも意地があるよ」
高吉は、大きな声で玉芳に向かっていった。
「まぁ、元気だこと。 それなら、その元気で小菊屋を中見世にまで押し上げてみなよ」 玉芳は煙を吐き出し、ニヤリとした。
そして高吉は無言になり、どこかに消えてしまった。
「ありがとうございました。 花魁……」 松代は頭を下げた。
「花魁、すごい……」 梅乃は、玉芳に惚れ惚れしていた。
すると、「はぁ はぁ……」 と、玉芳の呼吸が荒くなる。
「花魁?」 梅乃は玉芳に声を掛ける。
「初めてだった……」
「何がです?」
「喧嘩に勝ったの……」
「へっ?」 梅乃が玉芳の言葉に首を傾げる。
「喧嘩とかしないし、絡まれたら何も言えなかったから……」
実は、玉芳は優しいので喧嘩になっても降参が早いタイプだった。
「かっこよかったですよ。 花魁」 梅乃の言葉に
「そう? えへへ……」 玉芳は照れたように笑った。
玉芳の屈託の無い笑顔は、色んな人を虜(とりこ)にさせてきた。
この笑顔が大好きな梅乃も、その一人だ。
その後、三原屋に悪い噂が流れ始めた。
“他の見世の妓女を恫喝(どうかつ)した玉芳花魁 ” と、言う噂だ。
「失礼しんす……」 三原屋の一階で、鳳仙が訪ねてきた。
鳳仙楼は、同じ江戸町の大見世である。
「これは鳳仙花魁……どうかしました?」 采は、鳳仙を中に入れ、お茶を出した。
「玉芳花魁に話しがございまして……」
「玉芳にですか? なら、二階へ」 采は玉芳の部屋に案内した。
「玉芳、入るよ」 采が声を掛けて、鳳仙と一緒に部屋に入った。
「あんれ~? 鳳仙花魁……何の用?」 驚いている玉芳の顔は、普通の女性の様だった。
「なんか、三原屋の悪い噂が流れてて……教えに来たんです」
鳳仙は真面目な顔で言った。
「そんな正座なんかしないで! 楽にしてよ~♪ それに悪い噂は知ってるから……」 玉芳はケロッとしていた。
「知っていたのか……それで、よく普通でいられるな……」
「そんな事を言ったら……普通の人から比べ、私たち妓女は後ろ指さされてもおかしくない存在でしょ?」 心配する鳳仙に、玉芳は答えた。
「そうか……それじゃ、邪魔したね」 鳳仙は立ち上がり、去ろうとしたが玉芳が呼び止めた。
「わざわざ、ありがとう……それと、紹介するわ。 私の禿、梅乃と小夜よ」
「はじめまして……」 梅乃と小夜は頭を下げた。
「そう、よろしくね」 鳳仙は笑顔を見せた。
数日後、さらに三原屋に他の見世の妓女がやってきた。
「またか……」 困っている玉芳に、
「花魁、ここは私が聞きます」 菖蒲が玉芳の部屋に来て、言い出した。
そして、菖蒲までもが加わり作戦会議が行われた。
「噂を流した妓女を成敗してやらないとね……」 実際は、三原屋だけの問題ではなくなっていた。
大見世や中見世といった格上の見世、数件が対象となって噂を吹き込まれていたのだ。
その中で、特に三原屋の玉芳がターゲットにされていたのである。
しかし、玉芳は気にしておらず、のほほんとしていた。
そして、鳳仙を中心に噂を流した妓女を捕まえることになった。
まさに、組合のような形である。
(みんな、仲間として来てくれるのは有難いけど仕事はいいの?)
玉芳は苦笑いをしていた。
そんな中、吉原で噂を吹聴している場面を見た者がいた。
梅乃と小夜である。
「待ってください! どうして悪口を言うんですか?」 梅乃は、悪口を言っていた妓女に向かって言った。
その妓女は高吉だ。 当然だが、先日に玉芳から恫喝されての恨みなのだろう。
梅乃と小夜は、高吉に文句を言った。
「そんな大人……同じ妓女として恥ずかしいですよ」
そう言った梅乃に、高吉は怒った。
「禿のクセに、生意気 言うんじゃないわよ」 “パンッ パンッ ”
そして、高吉は梅乃と小夜の頬を叩いたのだ。
高吉の横には、客がいた。 客の前で恥をかかされたのだから、高吉は憤慨していたのだ。
高吉の客の男性は、慌てて逃げ出した。
怒り狂う高吉は、梅乃と小夜を睨んでいた。
「客が行っちまったじゃないか……お前、どうしてくれるんだい?」
凄む高吉に、梅乃は小夜に合図をする。
「うわーん」 すると、小夜が大きな声で泣き出した。
そして、大声で泣き続けている小夜に視線が集まる。
“なんだ? あの妓女が子供を泣かせているのか? ” など、ヒソヒソ話しが出てきた。
そして、高吉は周囲の目が気になり逃げようとすると
「どうして叩いたの?」 大きな声で梅乃が言った。
梅乃は、高吉の着物を掴み
「どうして私と小夜を叩いたの?」 を、連呼したのだ。
段々とヒソヒソ話しは噂となり、大見世にまで耳に入ってきていた。
「―花魁! 梅乃と小夜が……」 菖蒲と勝来が玉芳の部屋に駆けこんできた。
「―何っ?」 玉芳は花魁の豪華な衣装に着替えて梅乃の場所まで向かった。
すると、各見世の花魁が仲の町に集まってきた。
花魁たちが派手な衣装で、昼間から仲の町を歩いている光景に周囲は驚いていた。
“凄いな……みんな花魁だぜ。 あれは喜久乃、鳳仙や玉芳まで……”
そして、どんどん妓女が集まり、五十人ほどの大群で梅乃たちを助けに向かっていた。
この噂は、あっという間に拡がる。
仲の町の両側や、手引茶屋に多くの客が “世紀の花魁道中 ” を眺めていたのだ。
明治が始まったばかり。 まだ江戸の心が残る吉原に、粋な女たちが集まっていった。
「待たせたな、梅乃、小夜……」 玉芳が声を掛けた。
「花魁……」 梅乃と小夜は、涙を流し始めた。
「ごめんな……梅乃ちゃん、小夜ちゃん、遅くなっちまった」 鳳仙は、二人に謝っていた。
「コイツが、この緊急時に仲の町を外八文字で歩きやがってよ……」
鳳仙が、親指で玉芳を指さしていた。
「ちょ……あれは衣装を着ていたからクセで……」 必死に弁解する玉芳に
(緊急時なんだから、急いでくれ……) と、思った梅乃であった。
そして、花魁一同は……
高吉を追い詰め、泣きながら謝罪をさせた。
小菊屋の主人も、各見世に寄っては謝罪行脚を繰り返していく。
「みんな、いいヤツばっかりだ……」
玉芳は自室でキセルをくゆらせていた。
第四十九話 接近 春になり、梅乃と小夜は十三歳になる。 “ニギニギ ” 「みんな よくな~れ」 桜が咲く樹の下、禿の三人は手を繋ぎジャンプをする。 「こうして段々と妓女に近くなっていくね~♪」 小夜はワクワクしている。 (小夜って、アッチに興味あるんだよな~) 梅乃は若干、引いている。 「そういえば、定彦さんに会いにいかない? 『色気の鬼』なんて言われているし、そろそろ習わないと……」 小夜は妓女になる為に貪欲であった。 「なら、お婆に聞かないとね。 定彦さんもお婆に聞いてからと言ってたし」 梅乃たちは三原屋に戻っていく。「お婆~?」 梅乃が声を掛けると采は不在だった。「菖蒲姐さん、失礼しんす」 梅乃が菖蒲の部屋に行くと、勝来と談笑をしていた。「何? どうしたの?」 菖蒲が聞くと、「あの……定彦さんから色気を習いたいのですが……」(きたか……) 菖蒲と勝来は息を飲む。「あのね、梅乃……お婆は会うのはダメと言っているのよ……」 菖蒲が説明すると、「そうですか……」 梅乃は肩を落とす。「理由は知らないけど、そういうことだから」 梅乃が小夜に話す。「理由は知らないけど、お婆がダメと言って
第四十八話 鬼と呼ばれた者とある午後、菖蒲と勝来で買い物をしていた。 本来なら、立場的に御用聞きなどを頼めるのだが気晴らしがてらに外出をしている。 「千堂屋さんでお茶を飲みましょう」 菖蒲が提案すると、勝来は頷く。 「こんにちは~」 菖蒲が声を掛けると、 「あら、菖蒲さん。 いらっしゃい」 野菊が対応する。 「お茶と団子をください」 妓女である二人だが、年齢でいえば少女である。 こんな楽しみを満喫してもいい年齢だ。 そこに、ある張り紙が目に入る。 「姐さん、あれ……」 勝来が指さすものは、注意書きであった。 そこには、『円、両 どちらも使えます』という張り紙だった。 明治四年、政府の発表では日本の通貨が変更される事だった。 吉原では情報が遅く、いまだに両が使われていた。 通貨の変更から一年が過ぎ、やっと時代の変化に気づいた二人だった。 江戸時代であれば、両 文 匁などの呼称であったが、明治四年からは、円 銭《せん》 厘《りん》という通貨になっていた。 ただ、交換する銀行が少ない為に両替ができない場合もあり、両なども使えていた。 「時代が変わり、お金も変わるのね~」 実際、働いたお金のほとんどが年季の返済になっていて、手にするお金は小遣い程度だ。 価値などは分からなくて当然だった。 三原屋に帰ってきた二人は、采に通貨の話をすると、 「あ~ なんか聞いてたな……そろそろ用意しようかね~」
第四十七話 遊女の未来明治六年 三月。 政府の役人が礼状を持ってきた。「去年の秋にお達しが来ているはずだ。 妓女を全員解放するように」「はぁ……」 文衛門は肩を落とす。明治五年の終わり、政府からの通知が来ていた。日本は外国の政策に習い、遊女の人身売買の規制などを目的とした『芸《げい》娼妓《しょうぎ》解放《かいほう》令《れい》』が発令される。遊女屋は「貸《かし》座敷《ざしき》」と改名される。 そして多くの妓女は三原屋を出て行くことになる。妓女のほとんどが「女衒」や「口減らし」を通して妓楼へやって来ているからだ。そういった妓女を対象に解放をしなくてはならない。三原屋では妓女の全員と古峰が対象となる。 梅乃と小夜は捨て子であり、三原屋で育っているからお咎《とがめ》めはない。再三の通告を無視し続けていた吉原にメスが入った形だ。「お婆……私たち、どうすれば……」 勝来と菖蒲が聞きにくると、「ううぅぅ……」 采は悩んでいる。妓女たちも不安そうな顔している。「ちょっと待っててください」 梅乃は勢いよく三原屋を飛び出す。「どこ行ったんだ?」 全員がポカンとしている。梅乃は長岡屋に来ていた。
第四十六話 袖を隠す者 昼見世の時間、禿たちは采に指示を受けていた。 「いいかい、妓女として芸のひとつは身につけておかないとダメだ! 舞踏、三味線、琴でもいい…… わかったね!」「はいっ!」 三人は元気に返事する。 この冬を越えれば梅乃と小夜は十三歳となる。 菖蒲や勝来は十四歳の終わりに水揚げをし、十五歳になったら客を取る準備をしなければならない。 それまでの準備期間となる。「まだ早いんじゃないか?」 文衛門が采に言うと 「あぁ、そうだね……早いかもね」 采は冷静な口調で返す。 「だったら何故……」 「今、しなかったらアイツ等は ずっと悲しんでるだろ? 気を逸《そ》らしていくのさ」 采は、そう言ってキセルに火をつける。 これは、采の考えがあっての行動である。 赤岩の死後、落ち込んだ空気を一変させる必要があったのだ。 これは禿だけではなく、三原屋や往診に出た見世にも言えることであった。 これにより、三原屋の妓女は禿たちに芸を教えることになる。 二階の酒宴などで使う部屋が練習部屋になっている。 古峰は琴を習っていた。 その要領は良く、習得が早い。 教えていたのは信濃である。「古峰……アンタ凄いわね」 信濃は目を丸くする。「い いえ、信濃姐さんが優しく教えてくれるので……」 古峰が謙遜すると、「嬉しい事を言ってくれる~♪」 信濃は古峰の肩を抱く。
第四十五話 名も無き朝深夜から明け方にかけて、岡田は梅乃の身体を温めていた。心配もあり、以前に玉芳が使っていた部屋を借りている。「梅乃、まだ寒いか?」 声を掛けると、「うぅぅ……」 声は小さいが、かすかに反応を見せる。 (よかった……) 岡田は梅乃と同じ布団に入り、体温の低下を防いでいた。 そこに小夜と古峰が部屋に入ってくる。 「梅乃―っ 大丈夫…… って……あの、何を……?」小夜と古峰が見たものは、一緒の布団に入っている二人の姿だった。「いやっ― これは体温低下を防ぐ為にだな……」 岡田が説明していると、「そんなのは、どうでもいいです。 梅乃はどうですか?」小夜は顔を強ばらせている。「体温は戻ったようだ。 何か温かいものを飲ませてくれ」 岡田は布団から出て、赤岩の部屋に向かった。外は、まだ暗いが朝が近づく。これから妓女たちは『後朝の別れ』をしなくてはならない。 岡田は息を潜めるように赤岩の横に座った。二階も騒がしく、菖蒲、勝来、花緒の三人も後朝の別れを始める。二階を使う妓女たちは、朝の目覚めの茶を入れる。そして客が飲み干し、満足そうにしたら後朝の別れとな
第四十四話 静寂の月赤岩が布団で横になっている。 そこに梅乃が看病をする。 岡田は中絶の依頼を受け、妓楼に向かっていた。「先生、しっかり……」 梅乃が赤岩に声を掛けている。 大部屋の妓女たちも赤岩の部屋を見てはザワザワしていた。「お前たち、さっさと支度するんだよ! 仕事しな、仕事……」これには采も見かねたようだ。夕方、妓女たちは引手茶屋に向かう。 その中には小夜や古峰もいるが、梅乃は赤岩の看病で部屋に籠もっていた。「先生……私はいます。 まずは安心して休んでください」 梅乃は濡れた手ぬぐいで赤岩の身体を拭いている。「梅乃……」 小さな声が聞こえる。 これは赤岩がうわごとの様に発している。 「先生……私はここにいます」 この言葉を何度言ったろうか。 やり手の席には采が座っているが、落ち着かない表情をしていた。そこに引手茶屋から妓女が客を連れて戻ってくる。 これから夜見世の時間が始まる合図である。梅乃は部屋から出て、客に頭を下げる。 時折、笑顔を見せては客を歓迎していく。 この笑顔に采は悲痛な思いを寄せていた。客入りの時間は岡田も三原屋に戻ってこられない。 もし、終わっていても何処かで時間を潰さないとならない。 客に安心を与える場所であり、夢の時間を