Share

第五話 下世話なヤツラ

last update publish date: 2025-06-25 05:25:27

第五話    下世話なヤツラ

「おはようございます」 梅乃は昼見世の時間前に、玉芳の部屋に行くと

「ふわぁぁ……おはよ」 少し寝ぼけている玉芳が返事する。

 それから玉芳と梅乃が小さい声で会話をしていた。

 「なに? 本当かい? 行くよ」 玉芳が布団を蹴り上げ、起床した。

 梅乃が話したことは、三原屋の妓女と余所の見世の妓女とで喧嘩になったとの噂を玉芳に話したのだ。

 「場所はどこだい?」 玉芳は気合が入っていたが、何故か顔が嬉しそうであった。

 「なんか花魁……楽しそうですね……」 梅乃は小さい声で玉芳に言うと、

 「そんな事ないわよ! 心配なだけさ」 『ふんす!』 最後に気合を入れていた。

 (これは、絶対に楽しそうだ……) 梅乃は思っていた。

 そして喧嘩の場所へ来た。

 「お~♡ やってる~♡」

 玉芳が とっても嬉しそうにしている顔を、梅乃は初めて見た。

 「待ちな……」 そして玉芳が割って入る。

 「なんだい?」 威勢のいい妓女が玉芳を睨んだ。

 「ほう……言うね~ 私を知っての言葉かい?」 

 玉芳は長いキセルを くゆらせながら言った。

 「この喧嘩に玉芳花魁が出るのは……いただけないね」 喧嘩をしている妓女の一人が言った。

 「ウチの見世に文句あって喧嘩しているんだろ?」 玉芳が睨むと

 「???」 相手の妓女たちが首を傾げた。

 「???」 言った玉芳も、相手の反応に首を傾げた。

「って……アンタ、誰?」  

「私は鳳仙楼(ほうせんろう)の二代目鳳仙だよ」

「私は長岡屋の喜久乃……」

「……」 玉芳は、ポカンと口を開けていた。

どうやら喧嘩の場所を間違えていたようである。

『ポカッ―』 玉芳は恥ずかしさのあまり、梅乃の頭を叩いた。

「お前、ウチの娘じゃねーじゃねぇか!」

 「もう少し先なんですが、花魁が勝手に喧嘩を見つけて乱入したんじゃ……」

「それを早く言え!」 追撃の一発で、梅乃を叩いた。

そして喧嘩の場所へ

「待ちな!」 玉芳が参上した。

「なんだい?」 喧嘩をしていた妓女が、玉芳を睨む。

 「念の為だ、見世を聞こう……」

 玉芳は、さっきの間違いから恥ずかしさを知ってしまったようだ。

 「小菊屋の高吉(たかよし)だよ」

 「ふむ……お前は?」

 「花魁、私をお忘れですか??」 玉芳は、妓女の顔を覗き込む。

 「ウチの松代(まつしろ)姐さんですよ……」 梅乃が囁(ささや)いた。

 「そ、そうだよな……」 玉芳は動揺していた。

 (さっきの恥ずかしさで、身内まで忘れたんかいっ) 梅乃は心の中でツッコミを入れていた。

 「とりあえず、この喧嘩で安心した。 それで、ウチの見世に文句があるのかね~?」 急に元気を取り戻した玉芳は、小菊屋の高吉を睨んだ。

 「大見世だからって、偉そうに……」

 小菊屋は小見世であった。 大衆向けの見世であり、引手茶屋を通さずに遊べる見世であった。

 「そんな小見世の女郎が、三原屋の妓女と喧嘩をしていると聞いてな……」

 そして、玉芳はキセルをくゆらせる。

 「大見世だから何だっていうんだい! コッチにも意地があるよ」

 高吉は、大きな声で玉芳に向かっていった。

 「まぁ、元気だこと。 それなら、その元気で小菊屋を中見世にまで押し上げてみなよ」 玉芳は煙を吐き出し、ニヤリとした。

 そして高吉は無言になり、どこかに消えてしまった。

「ありがとうございました。 花魁……」 松代は頭を下げた。

 「花魁、すごい……」 梅乃は、玉芳に惚れ惚れしていた。

 すると、「はぁ はぁ……」 と、玉芳の呼吸が荒くなる。

 「花魁?」 梅乃は玉芳に声を掛ける。

 「初めてだった……」

 「何がです?」 

 「喧嘩に勝ったの……」

 「へっ?」 梅乃が玉芳の言葉に首を傾げる。

 「喧嘩とかしないし、絡まれたら何も言えなかったから……」

 実は、玉芳は優しいので喧嘩になっても降参が早いタイプだった。

 「かっこよかったですよ。 花魁」 梅乃の言葉に

 「そう? えへへ……」 玉芳は照れたように笑った。

玉芳の屈託の無い笑顔は、色んな人を虜(とりこ)にさせてきた。

 この笑顔が大好きな梅乃も、その一人だ。

 その後、三原屋に悪い噂が流れ始めた。

 “他の見世の妓女を恫喝(どうかつ)した玉芳花魁 ” と、言う噂だ。

 「失礼しんす……」 三原屋の一階で、鳳仙が訪ねてきた。

 鳳仙楼は、同じ江戸町の大見世である。

 「これは鳳仙花魁……どうかしました?」 采は、鳳仙を中に入れ、お茶を出した。

 「玉芳花魁に話しがございまして……」 

 「玉芳にですか? なら、二階へ」 采は玉芳の部屋に案内した。

 「玉芳、入るよ」 采が声を掛けて、鳳仙と一緒に部屋に入った。

 「あんれ~? 鳳仙花魁……何の用?」 驚いている玉芳の顔は、普通の女性の様だった。

 「なんか、三原屋の悪い噂が流れてて……教えに来たんです」

 鳳仙は真面目な顔で言った。

 「そんな正座なんかしないで! 楽にしてよ~♪ それに悪い噂は知ってるから……」 玉芳はケロッとしていた。

 「知っていたのか……それで、よく普通でいられるな……」

 「そんな事を言ったら……普通の人から比べ、私たち妓女は後ろ指さされてもおかしくない存在でしょ?」 心配する鳳仙に、玉芳は答えた。

 「そうか……それじゃ、邪魔したね」 鳳仙は立ち上がり、去ろうとしたが玉芳が呼び止めた。

「わざわざ、ありがとう……それと、紹介するわ。 私の禿、梅乃と小夜よ」

 「はじめまして……」 梅乃と小夜は頭を下げた。

 「そう、よろしくね」 鳳仙は笑顔を見せた。

 数日後、さらに三原屋に他の見世の妓女がやってきた。

 「またか……」 困っている玉芳に、

 「花魁、ここは私が聞きます」 菖蒲が玉芳の部屋に来て、言い出した。

 そして、菖蒲までもが加わり作戦会議が行われた。

「噂を流した妓女を成敗してやらないとね……」 実際は、三原屋だけの問題ではなくなっていた。

大見世や中見世といった格上の見世、数件が対象となって噂を吹き込まれていたのだ。

その中で、特に三原屋の玉芳がターゲットにされていたのである。

しかし、玉芳は気にしておらず、のほほんとしていた。

そして、鳳仙を中心に噂を流した妓女を捕まえることになった。

まさに、組合のような形である。

(みんな、仲間として来てくれるのは有難いけど仕事はいいの?)

玉芳は苦笑いをしていた。

そんな中、吉原で噂を吹聴している場面を見た者がいた。

梅乃と小夜である。

「待ってください! どうして悪口を言うんですか?」 梅乃は、悪口を言っていた妓女に向かって言った。

その妓女は高吉だ。 当然だが、先日に玉芳から恫喝されての恨みなのだろう。

 梅乃と小夜は、高吉に文句を言った。

 「そんな大人……同じ妓女として恥ずかしいですよ」

 そう言った梅乃に、高吉は怒った。

 「禿のクセに、生意気 言うんじゃないわよ」 “パンッ パンッ ”

 そして、高吉は梅乃と小夜の頬を叩いたのだ。

 高吉の横には、客がいた。 客の前で恥をかかされたのだから、高吉は憤慨していたのだ。

 高吉の客の男性は、慌てて逃げ出した。

 怒り狂う高吉は、梅乃と小夜を睨んでいた。

 「客が行っちまったじゃないか……お前、どうしてくれるんだい?」

凄む高吉に、梅乃は小夜に合図をする。

「うわーん」 すると、小夜が大きな声で泣き出した。

そして、大声で泣き続けている小夜に視線が集まる。

“なんだ? あの妓女が子供を泣かせているのか? ” など、ヒソヒソ話しが出てきた。

そして、高吉は周囲の目が気になり逃げようとすると

「どうして叩いたの?」 大きな声で梅乃が言った。

梅乃は、高吉の着物を掴み

「どうして私と小夜を叩いたの?」 を、連呼したのだ。

段々とヒソヒソ話しは噂となり、大見世にまで耳に入ってきていた。

「―花魁! 梅乃と小夜が……」 菖蒲と勝来が玉芳の部屋に駆けこんできた。

「―何っ?」 玉芳は花魁の豪華な衣装に着替えて梅乃の場所まで向かった。

すると、各見世の花魁が仲の町に集まってきた。

花魁たちが派手な衣装で、昼間から仲の町を歩いている光景に周囲は驚いていた。

“凄いな……みんな花魁だぜ。 あれは喜久乃、鳳仙や玉芳まで……”

そして、どんどん妓女が集まり、五十人ほどの大群で梅乃たちを助けに向かっていた。

この噂は、あっという間に拡がる。

仲の町の両側や、手引茶屋に多くの客が “世紀の花魁道中 ” を眺めていたのだ。

明治が始まったばかり。 まだ江戸の心が残る吉原に、粋な女たちが集まっていった。

「待たせたな、梅乃、小夜……」 玉芳が声を掛けた。

「花魁……」 梅乃と小夜は、涙を流し始めた。

「ごめんな……梅乃ちゃん、小夜ちゃん、遅くなっちまった」 鳳仙は、二人に謝っていた。

「コイツが、この緊急時に仲の町を外八文字で歩きやがってよ……」

鳳仙が、親指で玉芳を指さしていた。

「ちょ……あれは衣装を着ていたからクセで……」 必死に弁解する玉芳に

(緊急時なんだから、急いでくれ……) と、思った梅乃であった。

そして、花魁一同は……

高吉を追い詰め、泣きながら謝罪をさせた。

小菊屋の主人も、各見世に寄っては謝罪行脚を繰り返していく。

「みんな、いいヤツばっかりだ……」 

玉芳は自室でキセルをくゆらせていた。

Continue to read this book for free
Scan code to download App

Latest chapter

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第百十六話 強襲

    第 百十六話    強襲 敵襲と聞いた本隊は、小倉城に構えている部隊に伝令を送る。 明治九年は農作物が豊作な年であった為、値段が下落していた。 その為、農家たちが一揆を起こした萩の乱である。その頃から士族への締め付けも厳しくなったことで九州での乱が頻発していくことになる。 本隊と呼ばれる大木の部隊は動いていなかった。 「三原さん…… 私たちにできることは……?」 医師団の一人が訊くと、 「政治のことは解りません…… 私、十五歳ですよ」 梅乃がニカッと笑う。 梅乃は、いつの間にか頼られる存在になっていた。 「そりゃそうだ…… 梅乃は政治とは無縁の場所の出身だからな」 高坂が豪快に笑うと医師団の雰囲気が明るくなる。 「それにしても、吉原から医者になろうとはね…… 花魁だっけか? そういうのには興味がなかったの?」 「実家は遊郭ですが、姉妹もいます。 私にはむいていませんので姉妹に任せています」 梅乃がニコッとする。 「この戦が終わったら、三原さんの遊郭で宴でも開きたいですね」 医師団の一人が言うと 「お前さんの給料で払えたらな…… 梅乃の実家は大見世と言って、とんでもなく高いんだぞ」 高坂は何度か大名の付き添いで吉原に行ったことがあるそうだが、ただ恐縮するばかりで見世の名前までは覚えていなかった。 「へぇ~ どこの見世か気になりますね~♪ ウチは三原屋ですが、鳳仙楼や長岡屋など色々

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第百十五話 野営本隊

    第 百十五話    野営本隊 明治九年 十二月十日、近衛師団の第一陣が薩摩にやってくる。 「よし、荷物を脇に寄せて集まれ!」 近衛師団の陣営は野営である。 本拠地ではないので、建物を用意する時間がなかった。 相手は明治維新の立役者の西郷隆盛が率いる薩摩藩であり、強敵だ。  「まさか吉之助(隆盛)が乱を起こすとは……」  大木が深く息を落とす。 「それでは第一部隊から前へ!」 司令官の声が聞こえ、梅乃は黙って兵隊の動きを見つめていた。 「梅乃ちゃん、これから何が起こるか分かるかい?」 大木が訊くと、梅乃は静かに頷き 「戦《いくさ》ですね。 その為に呼ばれたのでしょう……」 視線を下に向ける。 「相手は西郷吉之助(隆盛)。 上野では政府の為にやってくれたのだが……」 「上野戦争で幕府のために戦った人が三原屋で働いています。 とても優しくて素敵な人なんです」 梅乃は片山の話をして自身の気持ちを落ち着かせている。 「そうか…… 忠義とは悪くないな。 この戦争が終わったら、その男と飲んでみたいものだ」 大木は力強く笑った。  すると、医師団の一人が梅乃を呼ぶ。 「三原さーん、医師はこっち~」 「はい、わかりました~」  梅乃は大木に頭を下げ、救護所の看板が立っている方へ向かって行く。 

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第百十四話 かんざし

    第 百十四話    かんざし 海は静かに波を立たせている。 軍艦が白波を作り、しばらくすると穏やかな青い海に戻っていく。 「高坂様、一週間も船に乗っていますが薩摩とは遠い所なのですね……」 船酔いも落ち着いた頃、梅乃が甲板で退屈そうに話す。 「一ヶ月は掛からないが、まだ一週間だ。 まだ掛かるな……」 当時の船はスピードは遅く、丈夫さが重視されていた。 「三原さん、すまない…… 怪我をした人がいて……」 医師団の一人が呼びにくる。 「どうされました?」 梅乃が慌てて船内に向かうと 「ううぅぅ……」 兵隊の一人がうずくまっている。 「どうかされましたか……?」 梅乃が兵隊の肩を持ち抱えると 「腹が……」 兵隊は腹痛になり、屈んだ時に船の揺れで頭部を裂傷していた。 「医務室に行って手当てをしましょう」 梅乃が兵隊を起こし、連れていかせようとする。 「待て! 勝手に持ち場を離れることは許さん!」 同じ兵隊の上官なのだろう。 胸元には沢山のバッチが付いていた。 「体調が悪いし、頭から血も出ております。 手当てが済んでから戻れば宜しいじゃありませんか」 梅乃は懇願するような目で上官を見る。

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第百十三話 里はいずこか

    第 百十三話    里はいずこか 「わぁ~♪」 梅乃は感激していた。 人生で初めて船に乗り、海から見える陸をみて喜んでいる。 「梅乃ちゃん、船は初めてかい?」 大木がニコニコしながら訊くと 「前に小さなタライ船に乗ったことがあります……」 梅乃はケロッと話す。梅乃がタライ船に乗ったのは玲たちに誘拐された時だ。 宴席でその話を聞いた事があった大木は思わず苦笑いになっていく。 (そんな壮絶な経験をアッサリと……)  梅乃が海面を見ていると小さな魚が跳ねている。「大木様、これは何という魚でしょうか?」 梅乃が訊く。 キラキラした眼に大木は思わずドキッとしてしまった。 (いかん…… 梅乃はまだ十五歳じゃないか……) 陸から離れ二日、近衛師団や医師団は顔を青くするようになっていく。 「うえ~っ―」 船酔いである。 「大丈夫ですか?」 梅乃は船で救護にあたった。 「軍艦は揺れるからな…… そのうち慣れるよ」 大木は笑っている。 (医師団は船に乗らないから解るが、兵隊さんも?) 梅乃が首を傾げる。 近衛師団は天皇直轄の陸軍であり、初めて船に乗る者も多かった。  軍医の一人の年配男性がやって来て梅乃に話す。 「これは船酔いと言って、揺れからくるものだ。 数日すれば治まるよ。 それまでは嘔吐や熱が出た

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第百十二話 交換条件

    第 百十二話    交換条件 吉原には厳しい季節がやってくる。 「もう十月か…… これじゃ年末や正月の目処《めど》が立たないよ……」 妓楼では嘆き節が聞こえてくる。 その中で、一番の打撃を受けているのが三原屋である。 引手茶屋では勝来の殺人容疑の噂が消えていない。 時折、出てくることで勝来の客は遠のいていった。 (今は我慢だ…… しかし、このまま勝来が沈んでしまったら……) 采にも嫌な妄想が膨らみ始める。 「勝来姐さん、失礼しんす」 梅乃が勝来の部屋に入っていくと勝来の表情は沈んだままで、菖蒲が慰めていた。 「梅乃……」 菖蒲が言葉を漏らす。 梅乃はキョトンとして 「姐さん、なんで暗い顔をしているのです?」 その言葉を聞いた菖蒲は 「お前、なんで そんな事が言えるんだい? 勝来が殺人者の扱いをされていると言うのに……」 菖蒲が憤っている。梅乃は決して空気が読めない訳ではない。 「でも、疑いは晴れたじゃないですか…… 私だって何もしていなくても『死神』と呼ばれていましたから……」 梅乃がケロッと話す。 当時は落ち込んでいたが、段々と前向きになれたから言える言葉だった。 「ここまで三原屋を落としてしまった責任があるからさ……」 勝来が言葉を漏らすと

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第百十一話 耐え難きを耐え

    第 百十一話    耐え難きを耐え吉原に戻ってくると、静かな雰囲気だった。 昼見世の時間、多くの客は夜の為に品定めをする。 どの娘と遊ぼうか……だ。大見世の客は遊女を替えることはしない。 最後まで選んだ遊女と過ごしていくのが一般的である。 中には金持ちや舞台役者などが顔を見せると、違う遊女を指名することもある。 そんな中、ゆっくりだが三原屋で成績を伸ばしている妓女がいる。 千だ。千は気遣いの達人であり、どの客にも優しく接している。 今までの吉原の風習であれば『女性上位』であり、妓女が嫌がれば簡単に出入り禁止になってしまっていた。吉原の大見世は格式が高く、客は黙ってご機嫌を伺うようになっていた。 その風習に風穴を開けたのが千である。「源八様、着物が破れかかっていますね。 縫ってあげますわ……」千が客の着物の糸がほずれているのを見ると、静かに縫い出す。 客は黙って酒を飲んで待っていた。千は客の顔を識別できない。 遣り手の元で客が支払いをするときに、遣り手が客の名前を呼ぶ。 そうして客の名前を覚えていった。 その為か、千は客の選り好みはしない。 誰にでも平等に接していくうちに、多くの客は千の癒しを求めるようになっていった。  「千姐さんは凄いです」 禿の一花が驚いていると 「せ 千姐さんは気遣いが凄くて、私も勉強になるんだ」 古峰が微笑んで説明している。 昼見世の時間が終わり、多くの客が帰っていく。 千も玄関で見送っていると

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第十八話 春に舞う乙女たち

    第十八話   春に舞う乙女たち 正月が過ぎ、厳しい寒さを抜けて春がやってきた。 この春を境に梅乃と小夜は十一歳となる。 誰も二人の誕生日を知らない訳で、春に拾った子だからと言うことらしい。 明治初期、少しずつ江戸の名残が薄くなっていった。 世間では、奉行から警察と呼ばれるようになり姿も変えている。  「梅乃~」 声を掛けてきたのは花緒である。 「花緒姐さん、おはようございます」 見世の前に出ていた梅乃を追いかけるように花緒も外に出てくる。花緒は、以前に勤めていた近藤屋から買い取った妓女である。四人の妓女が三原屋に来たが、花緒だけが梅乃と よく話す仲であった。他の妓女より

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第十七話 年の瀬の騒ぎ

    第十七話   年の瀬の騒ぎ「おはようございます」 梅乃と小夜は、早起きをして吉原を散歩していた。妓女たちは、朝の六時に客を見送る『後朝の別れ』を済ませてから寝床に入り、十時くらいまで仮眠に入る。梅乃と小夜は、子供なので夜の九時には寝ている。 朝の六時には起きて、妓女の見送りには息を潜めて邪魔をしないようにしているのだ。『後朝の別れ』が済むと、梅乃と小夜が慌てて小用に向かう。その後、時間潰しに吉原の中を散歩するのが日課だった。「もう寒いね……」「うん、早く帰ろう」 そう言って、急いで妓楼に戻る。「おはようございます。 潤さん」 梅乃と小夜は、毎朝 見世の前を掃除する片山に挨拶を

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第十六話 足抜

    第十六話   足抜《あしぬけ》秋から冬へと向かう頃、寒さも一段と増してきていた。「梅乃、ちょっと来な」 見世の中から采が呼ぶ。「はい。 なんでしょうか?」 梅乃は、采の元に行くと「ちょっと、噂《うわさ》を拾ってきてくれないかい?」 噂を拾うとは、“吉原の中で噂を聞いてこい ” と言うことだ。大体は引手茶屋に行き、馴染みの主《あるじ》であれば噂や情報を提供してもらえるが、ここ最近では聞かなくなっていたようだ。「ウチの評判も気になるしね。 吉原細見の他にも情報がないかと思ってね~」 「わかりました」 梅乃は仲の町を歩き、聞き耳を立てていた。(確かに、子供になら口が滑ることもある

  • ありんすっ‼ ~吉原、華の狂騒曲~   第十五話 恋慕

    第十五話   恋慕《れんぼ》秋になり、人肌恋しい季節になってきた。これは現代でも変わらないことであろう。「なんか、このままも寂しいわよね……」 と、ある妓女が言う。「このままって?」 「この仕事をして、年季が明けても身請けもなく、最後は河岸見世とか……」多くの妓女の悩みでもある。妓女が身請けをされるのは、花魁クラスである。 稀に中級妓女でも身請けはあるが、ほんの一握りの話しである。この時代にマッチングアプリなんていうものは無く、心を満たされる妓女は、ほぼ存在しない。妓女を身請けするというのは、男性にとっても莫大な金が必要となる。ここで妓女を指名するのは金持ちでも妻帯者が多

More Chapters
Explore and read good novels for free
Free access to a vast number of good novels on GoodNovel app. Download the books you like and read anywhere & anytime.
Read books for free on the app
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status